こんばんわ。けいすけです。
昔、平成時代に「2000円札」が発行されたのを思い出します。この時に描かれていた女性像は「紫式部様」だったはずですが、一瞬混乱しまうのが、「清少納言様」かかなり混乱してしまい、今でも錯覚現象が起きます。
何故なら「紫式部・清少納言」という印象なのですが、
「源氏物語を描いた紫式部様、枕の草紙を描いた清少納言様」を同時に歴史の授業で覚えたせいか、たまにどっちがどっちかではなく、左右対称ではなく、2人一緒で考えたら左右が逆に見える感覚で混乱します。
これは小学校の時に見たドラゴンボールの影響で、
「悟空とベジータ」と言う響きで覚えたのに似ていて、逆に
「ベジータと悟空」とは言わない感覚に似ています。(苦笑)
でも、サイヤ人のフュージョンやポタラの合体で「ゴジータ」「ベジット」と名前まで合体する違和感に似ています。
話を戻して、2000円札なのですが、もし「3000円札」とか将来発行されるのかな?と思います。
でも、どう考えても両替するなら「10000÷3000=3余り1000円」(3は割り切れない)から1000円は余るのでしょうね。
じゃあどうするのか?と言えば逆に「1万円札に3000円をプラス」して置き換えたら、おそらく選択肢は広がります。
「13000円札」=「1万円札+3000円札(?)」=「5000円札2枚+3000円札(?)1枚」、「3000円札(?)4枚+1000円札1枚」となんとなく上手く活きそうになります。
これをもっと応用したら、「給料15万円なら13000円札10枚+2万円余り」になり余りの2万円は元の1万円札や5千円札や1000円札の感覚になると思います。
じゃあ、僕みたいな貧困層はどうなるのかな?と思えば逆にというか普通に考えて「13000円札が何枚なら給料になるのかな?」あるいは時給が1000円なら・・・と考えたら必死に働きたくなるのが仕事の気合に繋がると思うですが、これは一人では解決しません。
要するに固定給や時給制度などを見直さないと「13000円札」は実現しないのでしょうか???
結局、新紙幣は全て「予備資金」として活用していたのかな?と深く考える毎日です。
(更新しました)
もし、僕が「13000円札」を使うなら、給料や収入にも寄りますが、普通に「13000円×X」ではなく、「収入÷13000」を当然意識します。というか、「13000円札が(何枚?)」と普通に考える性格がおそらくお金の価値観を与える個人個人の魅力なのでしょうか??
というか、1年間を365日+うるう年ではなく、
月収=年収12か月=1年、ではなく、日給=月収・・・ここで深く考えます。「1年間365日=13か月×28日+1日→365日」感覚ならいいのかな?と元日勤務が普通になっている時代ではなかなか世の中が良くなるような「働き方改革」になると思うのは僕だけでしょうか??

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