500円札の時代の妄想

こんばんわ。けいすけです。少し体調が回復しました。

色々な昔の話を聞いて人生最大の謎があります。

昔は「500円札」、お札で500円を発行していた伝説を考えます。僕は昭和63年生まれで、当時から500円玉しか記憶にありません。その500円玉1枚で漫画を買いにいったのが小銭貯金の原点なのです。

これを振り返ったら、もしその当時に500円札(お札)を手に持って買い物をしていたら・・・その「たられば」が未だに永遠の課題なのです。

だから、毎日毎日500円玉を「意識して残すように買い物をする」という現金払いの小銭貯金の場合、もし明日から「500円札」になったらどうなるのかな?とある意味夢を見ている気がします。

でも、じゃあいきなり「500円玉」が消えるというか無くなるのか?と思えばそうじゃない気がします。

500円玉貯金をしていた先代の方まで裏切る形になるので、おそらく両替という形になるのかな?と思えばその先に外国の硬貨まで無くなるのではないかな?と普通に思います。

500円(札)になれば自販機のお札に使えるのかな?とか思うのでこれはある意味公平なお金になると思うのですが、節約意識や予備資金としてはなんとなく「500円札(紙幣)」のほうが高級感というか大事に使いたい美意識まで生まれるのではないかな?と昭和時代、500円札を利用していた方々に話を聞きたくなるくらい興味があります。

でも、僕は一度だけアメリカに旅行に行ったことがあるのですが、

「5ドル(お札)」を持ち歩いた経験があります。何に使ったのかは記憶にないですが、お釣りのコインは何枚か残っていた記憶があります。

それなら、「500円玉+500円札=1000円」あるいは、「1000円=500円玉+500円札」の感覚になれば、もっと小銭貯金の研究になるんですが、さすがにこれは無理なのかな?と考えます。

その先にあるのが、「500円札10枚+5000円札1枚=1万円」という(おそらく)、この両替が昔の文化で普通にあったのかな?と妄想してしまいます。

あるいは生活費の予備として「500円玉○○枚」として家に置いておけば、緊急時の費用と考えたらもしかしたら「500円玉(硬貨)」より、「500円(お札)のほうが軽く持ち運べるので、かなり重要な予備資金に繋がるのでは?とイメージしてしまいます。

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