邪馬台国・卑弥呼の後継者「壱与」

こんばんわ。けいすけです。

大阪で働き出してなんとなく電車通勤が昔の田舎の電車の雰囲気と似ていて、太陽や川などを眺めると落ち着いてきました。

昨日、何気に書いた「邪馬台国」「卑弥呼」(様)の伝説ですが、

後継者の「壱与」(様)の伝説も妄想しています。

何故、彼女が女王に就いて邪馬台国が終焉したのか?

そもそも何故、内乱が起きたのか??

直感で思うのは「食料危機」とか「労働」などではないでしょうか?

当時、卑弥呼様は「鏡」を見て老いた自分の顔を見てショックを受けた、というのは絵本で見たのですが、「壱与」様は13歳、今でいう思春期まっさだなかの中で女王に就いた方です。

この流れが「女性特有」の「美意識」「成長期」「思春期」みたいな感じなら、現代でも中学生くらいの子供を持つ家庭の人は「反抗期」みたいな家庭内トラブルが起きるのは普通のことではないでしょうか?

女王様が「あれが食べたい」「あれは嫌」「米はあーやこーや」「魚はあーやーこーやー」「痩せたい」「太りたくない」

要するに卑弥呼様のストイックさに憧れていた男性らが壱与様のわがままと言うか幼稚っぽい発言にショックを受けたのではないか?と普通に思います。

あるいは詳しくはわかりませんが、最後に魏に遣いを送った時点で、なんらかの食料トラブルになったのではないかと思います。

最初に「米」を作ったのが中国なので、これはある意味貿易資料になると魏の国は日本と「時間」をくれたのではないでしょうか。

例えば「米」「稲作」「野菜」など、食料はいっぱい作れるけど食べてくれない、働かない、食料と交換するものを魏に求めて結局、こういう

「貿易」みたいな交流が途切れたら「邪馬台国」は滅亡する、と思ったのではないでしょうか??

結局、どの時代の内乱も戦争も「食料危機」なんでしょうか??

邪馬台国=九州説、近畿説の2つが有力ですが、

なんとなく、九州のほうが「魚」を多く取れそうなイメージがあるし、野菜も多く取れそうだけど、果物はどうなんだろう。。。

この辺の食べ物の個性や好みや特徴がうまく枝分かれしていたのでしょうか?

邪馬台国だから多分森林もあるだろうし、キノコや山菜もあるだろうし、本当に「神のみぞ知る」ですが、ぐるっと船で回っても「九州から」日本海・太平洋・四国、もっと言えば淡路島など島も上下の海を渡っても帰りやすさ・行きやすさの観点なら

九州説がなんとなく有利だと思うのですが・・・。

近畿に邪馬台国があるなら、琵琶湖でハワイみたいにエンジョイしまくってそこまで内乱に結びつかないような気もするんですがね・・・。

というか魏から近畿地方に歩いていけるか?って思うし、馬って当時の日本の文化と合うのか??それなら海を渡るときに歩いていくと国が変わるって感覚なら、本当に弥生時代の天皇や皇后に聞くしかないですもんね。

この究極の質問をしても、大阪や関西の人(特に女性)は

「知らん」

あるいは何か発言したあとに

「(○○だと思う。)知らんけど」

と、本当に対極の答えで閉めて交わされるから言葉が出しにくい時が多いです。(汗)

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