こんにちは。けいすけです。
飼い猫の「チョン」が本日、永久の旅に出ました。19歳でした。

昨日寝てから深夜1時頃まではまだ生きていました。しかし、残念ながら19日今朝6時45分頃、自宅にて永眠しました。
19歳でした。
👇亡くなる二日前でしょうか。最後の写真となりました。あまり苦しそうにしてなかったのですが、朝、母に最期の別れをつげ、天国へと旅立ちました。

平成18年、僕が高校三年生の卒業直前の冬、進路が定まっていない時に寂しいからほしい、ほしいと母にだだこねて母の友人から三兄弟のうちの1匹の白黒猫を授かり1歳直前のころから今日まで飼育していました。
尻尾が短いのが特徴で、おとなしい、キリッっとした優しいおっとりした猫でした。
アゴが黒いから旧名は「あご」ちゃんだったのですが、母が改名して「チョン」にしました。
チョンの母(ムー)は去年の12月、チョンの兄?弟?(クロ)、チョンの姉?妹?(とらぴー)達は、今年の冬に天国に旅立っていったのですが、最後に残ったのがチョンだったんですね。
平成18年、2006年ですね~・・・。18年前の2月。
最初は窓の外にすらいけず、外にいったら迷子になって心配させるし、スズメとか鳥とかネズミとかつかまえてくるし、
ケンカもするし、仲良くもするし、会議パトロールにいっているのか中々帰ってこないし。。。
2010年に広島に日帰り旅行にいったのですが、帰りが20時ごろになると餌がからっぽで、
「なにやってんだよー!」って感じで叫んでいたのと同時に、ペットの飼育と仕事や生活の両立の難しさと基本などを覚えました。
元々腎臓が悪いから母も僕も何歳くらいまで生きるんだろ??って10歳超えたあたりから心配していたのですが、餌の質や病院など環境要因がよかったんでしょうね。結局19歳まで長生きできた。人間だと100歳くらい?90歳はいっているんだろうな。
9日に動物病院に行ったときに「もう長くはない」と医師に言われて、僕も覚悟しました。
お別れするんだ・・・って絶望もあったし、もっと大事にできなかったもどかしさがありました。
「危篤」を看取るのは凄く難しいんですね。身動きも制限されるし、色々な葛藤が生まれてしんどい1週間でした。このストレスがあったからか17日に発作で倒れたのですが、ペットロスの影響だったのかも。
涙がとまらない・・・。(´;ω;`)ブワッ
色々な回想が走馬灯みたいに出てくるわけじゃないんだけど、はっきりと覚えている光景が浮かんできて、「あ~こんなことあったよなぁ・・・」「こういうときはこうしとけばよかったなぁ・・。」
ベッドとかおもちゃとかもっといいのを買ってあげたらもっとチョンも幸せだったかもしれない。
人間より猫のほうが好きなんでしょうか?それとも猫タイプの人間?猫派とは気が合うのかも?
この1週間はほんとうにつらかった。
できるだけ静かに騒がないようにしていたのですが、母もストレスと心配と一人暮らしの計画でいっぱいいっぱいになって多少ケンカもしたのですが、無事に最後まで看取ることができただけでもよかったです。最後に大好きだったおやつと兄と僕が赤ちゃんの時に使っていた親戚の伯母からもらったミッキーマウスの毛布と一緒にペット火葬してお別れです。
猫にも霊界はあるんだろうか??とかまた会えるの??まずはムーちゃん、クロちゃん、トラピーちゃんと会えるのを祈っています。
書ききれないくらいになりそうですね。
明日、火葬してからメイド喫茶にいって同じ白黒猫を飼っている女の子の誕生日記念に、この話を継承して「19年の答え」「1000年の答え」「2000年の答え」を求めていきたいです。
18歳~36歳の僕を知っているのは家族以外じゃチョンだけなんですよね。.親戚が増えた時、甥っ子姪っ子らもチョンを可愛がっていたから一応、家族を繋げてくれた猫なんですよね。
お通夜、ですね。あまりお葬式経験がないから難しいことは言えませんが、献花とか線香とかお供え物とか保冷パックとか最後の最後まで仕事をするのが「ペット飼育」なんでしょうね。
命の哲学をもらった命の恩人というべき猫なので、とりあえず、チョンのためにもこれからを生きなきゃいけない・・と「ラストシーン」を回想したいと思います。
弥生時代から猫って日本にいるみたいだけど、、、火葬?埋葬時代?この辺は永遠のテーマなんですが、今はペット葬もお金払ってできるから、最後まで諦めずに飼育できたんだ、とチョンの両親や兄弟に報告出来たらいいかな、と思います。

ブログを始めたときは既に全盛期は過ぎていたのですが、亡くなる二週間前くらいまでは普通に歩いて過ごしていました。最後までおやつは大好きみたいで、500円玉でドラッグストアで買いにいった甲斐がありました。
明日は火葬です。最後の対面を終えるまでが飼い主の任務ですね。引っ越してから寂しいでしょうね。でも、一人暮らしを後押ししたのもチョンだし、これからも平安時代や弥生時代のような猫と人間の関係が続く世界になるのを祈ります。線香をつけて最期を観ているのですが、なんかほんの少しだけ魂が動いているような気もするけど、白黒猫ならではの錯覚なんでしょうか。
亡骸に「チョン、ありがとう。怒ったりケンカしたりしてごめん。」と感謝の異を唱えました。
明日まで辛いですね。卑弥呼様や紫式部様や清少納言様や定子様や彰子様らと入院中に交わした誓約書、何個かは破ったけど、何個かは守れたと自分でも思います。弥生時代から平安時代、明治から近代文明を繋げていた、繋げてくれたのは動物愛と色々な歌だったんだと思います。
これから一人暮らしと転職や再就職や人生色々な岐路に陥る時は僕の場合、病気がちだからまだまだあるだろうけど、迷ったら動物がいる公園や山や川などを眺めたらその多くはほとんど解決するんだとチョンとの生活で学びました。ペット費用かかったなーって思いますが、財産みたいなもんですね。
若い男女も老夫婦も子供も愛する動物が多くいたほうが絶対に平和なんですよね。
あー、お通夜だけど、結局どっちかといえば猫で学んだ哲学ですね。。。
20日14時 火葬が無事に終わりました。
涙が止まらない。。。
遺骨を受け取ったら、まだ暖かくて火葬の重みを受け止めた。線香をあげて手を合わせてお祈りしました。
色々な支えがあって初めてペットを飼う、飼えるんだと思い、色々と人生の勉強になったし、中身の濃い18年間でした。
これからもチョンが亡くなった日は遺骨に手を合わして黙祷ができるように努力に励みたいです。
チョンちゃん、19年よく頑張ったね!天国でゆっくり休んでね。僕も死ぬまでチョンを忘れないようにまた明日から一人暮らしに向けて頑張るから、またいつか逢えたらいいなーとこれからもエンジェルナンバー500を磨いていこうかと思います。
この技を未来に残して平和と愛が続くようにこれからも生きていこうかとまた明日から生きていきます❗

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