
こんばんは。けいすけです。
暑いです。静養したいです。
僕は尼崎市という兵庫県の人口50万人前後の小都市に住んでいます。
小学校の時は45万人だったから平成・令和で多少の人口の動きがあったのかもしれない。
「尼崎」→「あまがさき」→「なんて読むの?」「どこ?」などなどが会話の定番。
港町や工場地域が発展していた時代は「公害の街」で有名だったみたい。
JR東西線ができて、「尼崎駅」が新しくなってキューズモールという大きなショッピングモールが現在あるのですが、大阪方面や神戸方面、宝塚や三田篠山、明石からも電車をうまく使ったら簡単に行けるというのがこの2年間で実感できました。
西宮に「西宮ガーデンズ」という大きなデパート、伊丹にも「イオンモール」があり、兵庫県は神戸を意識しているのでしょうか??買い物や食事など、関西どこに住んでも大体事足りるという時代になってきました。
コロナ過で外食や仕事や遊びや勉強はどうなったのでしょうか??
子供が公園で遊んでいるのは目撃するけど、スマホを使って遊ぶ子供はあまり見かけないような気もする。家にいるんでしょうか??
平成時代はコンビニでアイスやお菓子やジュースをバグバグ買ってオラオラ的に集まるような会合みたいなリア充、かなり減ったような気もする。。。
というか、街中見渡してみたらなんかLEDの質が平成と全然違う。
ぼんやり見えて、夜はバスとか乗ったら昔と比べて本当に暗い。
節電しているんでしょうか??それとも平成が明るすぎた、とか??
糖尿病で目が悪くなった、老眼とかかもしれない。耳はいいんだけど。
36歳になって働いていて一人暮らしをしていて思うのが、
「お菓子・ジュース・タバコや食べ物飲み物嗜好品」が、
「24時間好きなだけ買いに行ける・食べれる」という大人の特権。
「光る君へ」を鑑賞した日曜日の深夜にレジの女の子が2人並んでいて、
「あ、定子、あ、彰子・・・」
「定子だった。次は彰子がいいかも」・・・と変態モードに突入。
「タバコと嗜好品を好きなだけ購入して500円玉返却」という大人買いでにっこりほっこりする毎晩。大河ドラマを見て何故かこういう買い物や食事を満喫したくなるのはやはり「食事シーン」とかそういうお菓子を見るからでしょうか??
今どきの若い女の子が「定子・彰子」、「紫式部・清少納言」とか語れるか??と疑問に思うのですが、「平安文化」「百人一首」と思えば理解できるのでしょうね。
怒ったら怖そうだからナンパとかする気にはなれないのですが、なんかコンビニって「わざと買い物に来ている」とか思われてそうで不安になる。
尼崎って都会、田舎、どっちなんだろ?
神戸っぽい人もいれば、大阪っぽい人もいれば、ド田舎っぽい人もいる。
太った人を最近見かけない、ハゲも減った気がする、そもそも皆、なにしてんだろ?っていつも思う。
バスはほとんどお年寄り、子供はほとんど乗っていない、
電車もほとんど大人だけ、子供もいるけど少ない。
歩いているのでしょうか?自転車なのでしょうか??
ふむ。この先尼崎市民で生き残るのは誰なんだろ??っていう発想なのですが、市長が男性に切り替わって数年経過したので、やっぱり男?それとも女性?ふむ。目立つ男女、なのでしょうね。おそらく。
尼崎ができて100年以上経過したので、尼崎市民最高齢の人は誰なのかも気になる。。。敬老の日は意識しないといけませんね。
キューズモールは好きになってきました。
買わないけど、お金だけ郵便局と銀行ATMでおろして
「いつでも買えますよ~」とブラブラセレブ気取りするのが至福の一時。
実は凄いドケチで普段は自炊生活(卵かけごはんとかフレンチトースト)とか作って、滅多にスタバやサーティーワンやクレープは行かず、元々兄のおごりで焼き肉や中華やラーメンをおごってもらって栄養と性欲をつけているというリア充っぷり。おごりで食う外食は死ぬほどうまい。
尼崎は尼崎でも「次男」という肩書は今の子、どうなんだろ??
定子・彰子も「従妹」?「また従妹?」ちょっと勉強中なのですが、藤原家の兄弟の親族だから多分「いとこ」???
もしかしたらいつの世も「親戚ファミリー」で「自営業」「会社」を興して仕事に携わるのが「最強」かな?と今大河ドラマを見ているのですが、定子様と清少納言様を見る限り、「最期」は結局は「悲劇救出」なんだな・・・と枕草子を見て思った。
尼崎・・・。「尼」「アマ」「海女」
なんか古い言い伝えがあるんでしょうね。よくわからないけど。





「500円玉マスター」を目指して平成31年からはや6年。
「パダワン生活」もしんどい。早く「評議会」に参加させてー。定子様~。
「マスターの称号はまだ与えない。」(仁徳天皇)
「ジュースは今飲め。今、ほしいか、明日ほしいか、昨日ほしいは絶対にないから」(卑弥呼)
「外国人を笑かしてなんぼ。女の子に嫌われてはいけない。」(某明治女神)
「わざとタバコとジュース買いにコンビニ行くのはどうかと・・・」(某女神)
「なんで、今どき999円とか意識すんねん。早朝から深夜まで毎回小銭つき足して500円玉返却ばっか意識しやがって・・・機械壊れたら人件費とかなんぼかかるねん。まとめて買えや。ハゲ!彼女ら、単なるバイト従業員やぞ。このエロ猿!」(某女神)
「発達障害?アスペ?小金持ち?外国人観光客?」(某女神)
エンジェルナンバー500・・・。
小売店じゃ500円玉って活躍するんでしょうけどね。
時は令和。
平安時代から「5」「10」「50」「100」「1」などの数字継承はあるはずなんでしょうけど、平安時代に「ゼロ」はないはず。最初からあるという概念なんでしょう。
だから「ゼロの概念」を越えないといけないのが宇宙、ってことなんでしょう。インドが「0」を作ったから宇宙も未だかつて(。´・ω・)?であり僕も皆も(。´・ω・)?なんでしょう。はっきりした答えは有無の両極2パターンがある限り、宇宙の謎はしばらくは闇の中なんでしょうね。
弥生時代、平安時代に向かって「500」「0」「100」「1000」など宇宙的な信号発信を送って宇宙と地球にメッセージを送っている、と信じているのですが、
「千」→「1000」→「せん」「1・000」
「百」→「100」→「ひゃく」「1・00」
じゃあ、「500」(僕)
宇宙人→「500」→「ごひゃく」
「5?100?大きい?小さい?ちょうどいい」って感じで
尼崎市民代表として「文明文化信号」を世界中に送っている、と思えたら何故か幸福になれる・・・。
尼崎で生き残るのはおそらく「500円玉貯金」だけで十分事足りるであろう、と達観主義になれたらいいんですけど。

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